真面目?な小咄
まじめ   な  こばなし

神社と神道についての手前味噌・勝手な話
興味のある方だけ読んでください。




米と日本人

日本人の魂と執念


令和5年8月17日

  ウクライナとロシアの戦争により、小麦等の輸出が滞り、世界的な穀物不足が続いています。我が国でも輸入価格の上昇により、あらゆる物が値上がりしています。ただ自給できる米だけは不足にもならず、価格も上がっていませんので、まだまだ消費が伸びそうなのですが、太りやすいとか炊くのが面倒だとかでそれほど需要が伸びていない状況です。

 米は余っているのだから
小麦を作付けすればいいじゃないかという声がありますが、わが日本には小麦の作付けは難しい物があります。小麦は原産地が比較的乾燥した地域であり、品種改良こそ進んではいますが、雨の多い日本には適した作物とは言えません。小麦は秋に種をまき翌年の初夏から夏にかけて収穫しますが、収穫時期が梅雨の時期となり、どうしても品質が低下してしまいます。また、米なみの収量は期待できず、連作障害のリスクもあります。一方米は雨が多い東インドあたりが原産地とされ、比較的温暖湿潤な我が国に適した作物です。栽培の際、水田にする事で連作障害が発生せず、面積あたりの収量は小麦よりも3割程多くなります。収量が多く、安定した栽培が可能な米は、狭い国土で人口密度が高く、温暖そして水の豊な我が国にぴったりな作物なのです。

 神話では天孫降臨の際にアマテラスオオミカミがニニギノミコトに高天原の稲を授けて、わが国の稲作を始めさせたとあります。以来、2千年以上にわたって栽培され続け、米を充分に手に入れる事が日本人の長年の悲願でありました。〇万石のお殿様という呼び方があるように米のとれ高が富を計るものさしとなり、米本位制とも呼ばれる状態が長く続きました。
米が十分に行きわたり、余るようになったのは50年位前で、日本人と米の長い歴史から見るとつい最近の事です。

 米を腹いっぱい食べたいという、神代から続く日本人の米への思いをどうか大切にして頂きたいと思います。
 



女人禁制の話

 女性お断りの話ではありません


平成30年8月6日

 先日、大相撲の巡業の際、女性が土俵に上がった事に対する相撲協会の対応に批判が集まりました。また、福岡県の宗像大社が世界遺産となった際、沖ノ島が女人禁制である事を指摘され、男女関係なく入島禁止という事になりました。今回は、この「女人禁制」についてのお話です。

 一般的に大相撲の土俵が
女人禁制なのは、神事であるからだと理解されています。以前にもここでお話しましたが、神道では祓い清め、清浄を保つ事によって「穢れ」(ケガレ)を神様から遠ざける事が大切とされます。「穢れ」は伝染するものとされますので、神様に「穢れ」が及ばないようにするのです。

 「穢れ」は「気枯れ」であり、生気が枯れた状態を表します。病気、怪我、老化などで体が弱っている状態は、生気が足りていないので穢れのある状態となります。血を流すという事は生気が奪われる事ですので「穢れ」となり、女性の血の穢れと言われるものもこの事からきています。現在では「穢れ」=汚いととらえられていますが、生気の無くなったものが腐敗したりして汚くなるからであって、本来の意味ではありません。

 神様に「穢れ」が及ぶと生気が失われ神様の力が弱くなってしまいます。また場合によっては
「祟り」が起こる事もあるのです。大相撲での「あの対応」は女人禁制のしきたりを守るという事に加えて祟りを恐れるという面もあると思います。相撲の世界では祟りは事故や怪我となって直接かえってきますので、おろそかにはできません。

 
女人禁制となっている場所は、神聖な場所、修行の場所、危険な場所です。三つ全てかあてはまる場所も多くあります。女性の存在で修行に集中できない、女性を危険から遠ざけるという分かりやすい理由から始まった事が、次第に神聖な場所まで拡がっていったのでしょう。

 
若い女性に目がいって、注意力が無くなって思わぬ怪我や事故になるという事は有り勝ちな事です。怪我や事故の原因を避けるという事で
女人禁制となった事もあるのではないでしょうか。このような昔からの事情を考えてみると、女性蔑視という理由から一概に女人禁制に反対するのはどうかと思います。

 


女人禁制だった駒ケ岳




くわばら くわばら

雷様と天神様


平成29年7月5日

  雷の多い季節となりましたので、当神社とはあまりご縁がありませんが、天神様のお話を致します。天神様は皆様ご存知の通り学問の神様菅原道真公の事ですが雷様とはどうゆう関係なのでしょうか。

 菅原道真公は平安時代、宇多天皇に重用され異例の出世をとげ、従二位右大臣にまでなりましたが、左大臣藤原時平の
讒言によって九州の太宰府左遷されてしまいました。道真公はその後わずか2年で都から遠くはなれた左遷先で亡くなってしまいます。

 その後、都には
様々な凶事が立て続けに起きるようににります。藤原時平が病死したのをはじめ、関係した人々が次々に病気や事故で亡くなり、しまいには宮中の清涼殿に落雷があり、多くの死傷者が出る事態となりました。

 
これは
道真公の祟りに違いないとされ、道真公の怨霊を鎮めるために建立されたのが京都の北野天満宮です。この神社は怨霊が出て来ないように、他の神社と違って頑丈な土塀で囲まれています。そしてこの落雷事件から道真公=雷神=天神とされ、また道真公の領地である桑原には雷が落ちなかった事から雷除けのおまじないとして、後世には災難除けとして「くわばら くわばら」と唱えるようになったとの事です。

 災害をもたらす怖い神様が、いまでは学問の神様、受験の神様として広く崇敬されるようになりました。天神様をおまつりする社は全国に1万2000社あるそうです。
 






木へんに神と書いて・・・

神さまとは切っても切れない関係の木


平成28年6月26日

  まさか知らない人は無いとは思いますが、木へんに神と書いて榊「さかき」です。神社では玉串(たまぐし)に使ったり、大麻(おおぬさ=祓串)に使ったり、様々に用いられます。家庭の神棚でも榊立てにお供えします。

 榊には、
本榊(ホンサカキ)・真榊(マサカキ)と姫榊(ヒサカキ)の二種類があり、自生しているのは本榊は関東以西、姫榊は南東北以南とされています。わが岩手県では沿岸南部の一部にのみ自生し、榊はお花屋さんで買う物と思われているふしがあります。関西では本榊は神事、姫榊は仏事と使い分けられているようですが、当地方では本榊が手に入る事は稀で、姫榊が神事用として広く用いられています。

 家庭で榊をお供えする際に
一番気をつけたい事は、枯れたままにしておかない事です。神様はケガレ(気枯れ)即ち、生気の欠けた状態を忌むので常にみずみずしい榊をお供えする事が神様の神意に叶う事になります。お供えの水を交換するのはもちろんですが、榊立ての水もまめに替えると榊が長持ちします。水の腐敗を防ぐために、たまには榊立てを熱湯で消毒するのも効果があります。上手にもたせると、1か月以上大丈夫です。ちなみに常緑で広葉の木であれば、榊に変えてお供えしてもかまいません。

 
温暖化が進んだためか、当地方でも榊(姫榊)の栽培が容易になってきました。冬の北風が当たらない半日陰の所に植えるとよく育つようです。実もなり、
種からどんどん増えます。当神社の境内も、えらい事になりつつあります。
 

   

右が真榊、左が姫榊です。姫榊の方が葉が小さく、葉の周囲にギザギサがあります。






神宮と大社

 おおきな神社


平成27年8月29日

 ○○神宮とか、△△大社と呼ばれるような神社は、由緒のある大きな神社で参拝者も多く、有名な観光地となっている所も少なくありません。また、単に「神宮」というと「伊勢神宮」をさし、「大社」というと「出雲大社」の事になります。もっとも、「出雲大社」では「たいしゃ」ではなく「おおやしろ」と読んでいるそうなので、記憶の片隅にでもとどめて頂ければ良いかなと思います。

 さて、それでは神宮と大社はどのように違うのでしょうか。○○
神宮と呼ばれる神社は、皇室に特に縁のあるご祭神をおまつりしている神社です。天照大御神をおまつりする伊勢神宮をはじめとして、三種の神器のひとつをおまつりする熱田神宮、また明治神宮など天皇陛下がご祭神となっている所も多くあります。

 大社は、古くは平安時代の「延喜式神名帳」に大社と記してある神社ですが、近年は明治の神社社格制度の下で、
官幣大社または国幣大社とされていた神社が大社を名乗っている場合が多いようです。全国に多くの分社があるような大きな神社が含まれています。当神社の「本社」である熊野三山(本宮、速玉、那智)も「大社」と呼ばれています。

 旅行でお出かけの際には、観光地ばかりでなく各地の神宮や大社をコースに入れてはいかがでしょうか。きっと旅路の安全ばかりではなく、多くのお蔭が戴けるものと思います。






中今を生きる


 現在・・過去・・・未来・・・・・


平成26年6月21日

 中今と書いて「なかいま」と読みます。ちゅうこんではありませんので念のため。中今は過去から未来につながる時の流れの真ん中に現在があるという事で、神道ではよく使われる言葉です。これは即ち、過去の結果が現在であり、現在の結果として未来があるという至極当然な事を表す言葉ですが、「今現在を大切にしなさい。そして、過去や未来の事も考えなさい。」という教えでもあります。

 今この世の中にあなたが生きているのは、両親をはじめとして両親につながるご先祖様がいたからですが、祖父母は合わせて4人、曾祖父母は8人というように数えていくと、わずか20代さかのぼっただけで、ご先祖様の数は100万にもなります。この中の1人でも欠けてしまうと、現在のあなたは存在できません。もっと先までさかのぼると、その数は途方も無いものになり、
今生きているあなたの存在は、多くのご先祖様のお陰と、神のご加護の結果と言っていいのではないでしょうか。神と祖先を敬いなさいという神道の教えは、将にこの事を基にしているのです。仕事や勉強にしてもこの通りで、過去からの積み重ねが現在の成績につながってきます。

 
当然未来についても、現在やっている事が結果に結びつくので、
過去から現在まで日々大切にして努力していれば、よりよい未来が開けてくるのです。神のご加護に感謝し、先人に対して敬意を持ち、そして後の世代に配慮して物事を進めて行く事こそ神意に叶う正しい道なのです。

 「結婚しない。子供はいらない。自分の今の生活が一番大事。」という人がいるようですが、神と祖霊の力によって、祖先(過去)と子孫(未来)の間の中今に生かされているのだという事を、自覚してください。

 
 






吉か?凶か??

みんな大好き?おみくじの話


平成25年9月23日

 普段はさておき、初詣の時には「おみくじ」をひかないという人、むしろ稀ではないでしょうか。最近は、様々な縁起物等が付いたものも登場し、色や形もとてもおしゃれになりました。

 おみくじについてよく訪ねられるのが、運勢の順番。概ね、
大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶の順とされております。概ねというのは、他にも半吉とか末小吉がある所や、吉よりも中吉の方が上だったりする場合があるためです。聞く所によると大凶よりも凄い「恐」がある所が存在するそうで、こんなのに当たったら、3日位は立ち直れなくなるかもしれません。

 おみくじの運勢を見て、ご参拝の皆さんが一喜一憂する姿をよく見かけますが、
大事なのはやっぱり「中身」すなわち内容です。神社のおみくじには最初のほうに「和歌」が書いてありますが、運勢などの内容は、この和歌を元にして書いてあるのです。和歌の解釈がわかりやすく載っている場合は、よく読んで今後の糧としてください。おみくじは神様からのアドバイス、そして注意の喚起であります。おみくじが説く運勢は運命ではないのです。

 
最後になりましたが、運勢の良し悪しにかかわらず、自分にとって良い(と思われる)おみくじは神社の境内に
結ばずに、財布などに入れて持つようにしましょう。神様からのアドバイスにより、物事が成就したならば、お礼参りのついでに神社の「みくじ納所」に結びましょう。
 





神社にある神社

 別宮・摂社・末社(べつぐう・せっしゃ・まっしゃ)について


平成25年2月20日

 多くの神社では、いわゆるその神社の名前となっている「本社」ばかりでなく境内に大小さまざまな神社をおまつりしています。八幡神社の境内に稲荷神社があるなどとという事が全く珍しくありません。ちなみに当神社でも1社だけ「足尾山御祖神社」という「おやしろ」が境内にあります。むしろ当神社のように別の「おやしろ」が1社だけというのは少数派で、大きな神社のなかには100社以上が境内・外にあるというような例もあります。

 こういった神社は、「本社」の神様に縁のある神様だったり、誰かが新しく建立したり、何かの理由で他の所から引っ越して来たり、いまある神社の境内でおまつりされるようになった理由は様々です。そして
これらの神社を大きい方から、別宮・摂社・末社と呼びます。

 別宮は「本社」と同等または、「本社」次いで重要な「おやしろ」です。摂社「本社」の神様に特に縁のある神様や、元々の土地の神様などをおまつりした「おやしろ」です。そして、以上に該当しない「おやしろ」が末社と呼ばれます。

 ところで、色々な神社の御守や御札を持つ事を「神様同士がけんかをする」と言って嫌う人がいますが、けんかをするならば、別宮・摂社・末社などはありえません。むしろ、
「本社」にいらっしゃる神様のご神徳(ご利益)を補ったり、更に加えたりする「おやしろ」が別宮・摂社・末社としておまつりしてある場合が多く、「本社」にあわせてお参りする事によって更なるご加護が戴ける事になります。

 当神社別宮「足尾山御祖神社」
は足腰の健康や旅行安全、安産のご神徳について昔から信仰されてきました。ご参拝の折には、ぜひ「足尾山御祖神社」にもご参拝になり、更なるご加護をお受けください。

 

例祭日は4月25日です





元号を使いましょう


 独自の暦は独立国の証


平成24年7月28日

 今年は平成24年。ホント「昭和は遠くなりにけり」ですね。最近、生年月日を尋ねると西暦(キリスト紀元)で答える人が少なくないので、こんな事を書いてみようと思います。

 以外に知らない人が多くて驚かされますが、西暦はキリストが誕生したとされる年を基準とした暦で、ヨーロッパのキリスト教国の植民地拡大とともに世界に広がりました。キリスト教国ではない国で西暦が使われるのは、植民地支配の名残である場合も多いようです。

 ところで朝鮮半島を支配していた代々の王朝では、歴代の中国王朝の暦を使用していました。宗主国である中国王朝に対して、臣下の礼をとり貢物の献上と中国王朝の暦を使う事が義務付けられていました。中華皇帝から朝鮮王の称号を授けられ、名目上中華皇帝の支配下となり、独自の暦を使う事が許されなかったのです。

 
独自の暦を用いる事ができるのは、独立国のあかしです。政治的に支配されていない状態であっても、他国の暦を使用するのは文化的に支配されていることになってしまいます。キリスト教国でもないのにキリスト紀元を当たり前のように使うのは、恥ずべき事ではないでしょうか。

 確かに西暦(キリスト紀元)は計算が楽ですし、世界中多くの地域で使われており便利な暦ではあります。全く使わずにすまそうと思うとかなりの努力が必要でしょう。しかしながら、我が国の元号を使える場合には、極力使うべきではないでしょうか。日本が日本独自の文化と伝統を保ち、世界の国々から尊敬される国であるためには、是非必要な事だと思います

 
 


余談 日本史を西暦でやるは抵抗があります。でも元号でやるのはちょと無理。
ホントは皇紀(神武紀元)がいいんでしょうけど、やれ戦前へ逆戻りだの伝説を基
にしていい加減にきめられた暦だとか大騒ぎになりそうです。いい加減さについ
ては、西暦も似たようなもんで、イエスの誕生はもっと早かったのが本当との事。






次善の策

備えあれば憂いなし ベストがダメならベター


平成24年1月29日

 何事も目標通り、最高の結果が出るとは限らないのが世の中です。自身の能力を最大限に発揮し、精一杯の努力をしても時機に恵まれなかったり、相応の評価が得られなかったりすることが無いわけではありません。せっかくの努力が水の泡となってしまい、気持ちはすっかり落ち込んで、全く何も手につかないようになることもあるでしょう。

 しかし、いつまでもその事を気に病んでいては、前に進む事はできません。
人はその生がある限り、ひたすら前に向かって進んでいかなければならない「さだめ」なのです。なかなか次の一歩が踏み出せない方の中には、「次善の策」を考えていない方も多いのではないでしょうか。「次善の策」というと努力を放棄して楽な方向に流れてしまう事のように捉えられるかもしれません。

 当然の事ながら
安易に楽な道を選ぶのではなく、最大・最高の目標にむかって努力すべきでありますが、残念ながらチャレンジに失敗した場合、「次善の策」があれば再びそれにむかって進むことができます。気をとり直してまた頑張る事が出来れば、結果として、最終かつ最高の目標に早く近づく事になるかもしれません。あらかじめ「次善の策」をきっちりと準備していなくても、おおよその事や方向性だけでも頭の片隅に入れておけば、いざという時、あわてずにすみます。
 
「人事を尽くして天命を待つ」という事で、
出来る事は全て行ったうえで御神霊の御加護をお願いするべきですが、「次善の策」を考えておく事も「人事を尽くす」内に入るのではないでしょうか。


 





災いの根源

 神道における災いについて


平成23年6月12日

 千年に一度と言われる「あの震災」から三ヶ月が過ぎました。地震、大津波と原発事故によって大きな被害が発生し、なかなか先の見えない状態です。一日でも早く、状況が改善される事を祈りつつ、神道から見た「災い」について書いてみたいと思います。

 諸悪の根源??とされる
「災い」をもたらす神様を禍津日(まがつび)神といいます。この神様は伊邪那岐(いざなぎ)神が黄泉(よみ)の国から帰ってみそぎをした時、黄泉の国の穢れ(けがれ)から生まれたとされます。一番悪いのはやっぱり穢れなんですね。

 この
穢れですが、人口が増加に比例するようにどんどん増えて行くものとされています。穢れは災いの「原材料」ですから、そのままにしておくと大変な事になってしまいますから、「祓い清める」事が必要となるのです。

 「諸々の禍事・罪穢れ」を
祓い清める神様は祓戸大神(はらえどのおおかみ)です。祓戸大神は四柱の神様で、禍津日神と同様に、伊邪那岐神のみそぎの際に生まれた神様です。

 ところで「オレには罪なんか無いぞ!!」という方もいると思いますが、国津罪の中に高津神(たかつかみ)の災いという罪があり、これは天災の事であるとされています。
罪穢れを祓うという事は、災いや病気、怪我などを祓う事でもあります。

 さて、大祓詞には祓戸四柱の大神等によって罪穢れが祓い清められる様子がこのように書いてあります。まず川の急流の瀬織津姫(せおりつひめ)神が罪穢れを海まで運んでしまう。次に海のはるか沖の速秋津姫(はやあきつひめ)神がその罪穢れを海底深く呑みこんでしまう。次に気吹戸主(いぶきどぬし)神が地底深く吹き飛ばしてしまう。次に速佐須良姫(はやさすらひめ)神が「あさってほう」に消し去ってしまう。 これだけ罪穢れが多いと祓戸四柱の大神様も大変で、消しきれない罪穢れが戻って来ている分もあるかもしれませんね。

 以上、災害の発生を止める事は難しいかもしれませんが、被害を最小限にする事、そして災害から立ち直る事は出来ます。「YES,We Can.」   一日も早い、復興を祈りつつ・・・・・・・

 

 

こんな感じで罪穢れを消し去っているかも・・・・・





お札とお守りの寿命


 レンタルみたいな・・・・・


平成22年10月12日

 お札やお守りは1年毎に交換する慣わしになっています。これをお札やお守りの寿命と捉える事はかなり乱暴な事かもしれませんが、あえて不適切な言葉を使って話を進めたいと思います。

 
お札やお守りは神様の分霊(わけみたま・ぶんれい)が宿るものです。御霊(みたま)は不思議な事にいくつにも分ける事が可能で、しかも1÷2=0.5ではなく1÷2=1×2、すなわち同じものが2つになります。さらに多く分ける度に同じものがどんどん増えていきます。皆さんのご家庭にあるお札やお持ちになっているお守りは、神社の神様の「カケラ」ではなく、神社の神様と全く同じ御霊(みたま)なのです。

 では、
神社の神様とお札やお守りは何が違うのでしょうか。どうしてお札やお守りは毎年交換しなければならないのでしょうか。お札やお守りは時間が経つに従って、ホコリがかぶったり汚れたりしてきます。御神霊は「ケガレ」を嫌いますから、次第に御神威は衰えてきます。神社でも、
お掃除はするでしょうが、やはり「ケガレ」による御神威の衰えがある事は当然です。しかし神社では御神霊に
リフレッシュしていただく儀式である「例祭」を神社にとっての最重要の祭儀として毎年欠かさず行っています。これが、神社の神様とお札やお守りとの違いです。

 
御霊は1つに合わせてしまう事も可能です。
御神威の衰えた御霊は感謝の気持ちを持って元の場所にお帰りいただきましょう。そして新しい御霊を別にいただいて来る事、これがお札やお守りを毎年交換する意義なのです。また、1年が経っていなくても御神霊から御加護いただく必要がなくなったら(受験が終わった、安産だった等々)お札やお守りを納めて、元の場所にお帰りいただきましょう。

 
必要な時、必要な期間、御神威の強力な分霊をお札やお守りとして頂く。必要が無くなればお札やお守りを納めて御霊をお返しする。いわば御神霊についての「レンタル」かもしれませんね。

 
 








物には「魂」が宿る

小惑星探査機はやぶさ帰還によせて


平成22年6月17日

 去る13日は、我が国の小惑星探査機「はやぶさ」が7年間にも及ぶ長い宇宙の旅を終えて地球に戻ってきました。度重なる多くのトラブルを乗り越え、小惑星イトカワのサンプルが入っているとされるカプセルを無事送り届けてくれました。残念ながら本体は燃え尽きてしまいましたが、火星軌道の外側にまで及ぶ60億キロメートルという全行程、そして得られた様々な成果はまさに画期的なものです。

 「はやぶさ」は我が国独自の技術である全段固体燃料ロケットの「ミューロケット」によって打ち上げられました。「はやぶさ」が向かったイトカワはこの国産ロケットの基礎を築いた故糸川英夫氏の名前から名付けられ、正式に命名されたのは「はやぶさ」が宇宙に飛び立ったあとでした。故糸川英夫氏は戦前、陸軍の隼戦闘機の開発にも関わっておいでなので、何か因縁のようにも感じられます。そして、数々の困難を乗り越えて計画を成功させた方々には本当に頭が下がります。

 さて、
物には魂が宿るとされています。九十九神(つくもがみ)とも言い、愛情を持って大切にされた物には幸をもたらす魂が、そうでなかった物には災いをもたらす魂が宿ります。日本人の物を大切にする心、もったいないという心は、あらゆる物に魂が宿り、あらゆる場所に神を感じる神道の考え方が根底にあるからです。機械であれば、命令通り動くのが当然と思うだけでなく、そこにどこか健気さを感じ、機械自身が感情と意思を持っているように思えてしまう。大事に愛着を持って接して来た物ならば当然の事でしょう。
 
 「はやぶさ」運用
チームの方々はトラブルの度毎に必死に解決策を見つけ出し、「はやぶさ」はその指令を忠実にこなして幾多の困難を乗り越えてきました。7年もの間、これだけの事をしてきたのですから、「はやぶさ」に幸いをもたらす魂が宿っていても不思議はありません。

 
最後に「はやぶさ」に地球の姿を見せてあげる事になりました。「成功のごほうび」という事で、後ろを向いている目(カメラ)を残る全ての力をふりしぼり地球の方に向けて、撮影を行いました。写っていたのは最後の1枚だけ。それも、通信が途中で切れてしまいました。ずっと使っていなかったカメラの具合が悪いようでノイズだらけの写真でした。でもこれが、「はやぶさ」の涙でかすんでいるように見えるのです。

 
残された「はやぶさ」のカプセルの分析はもう暫くかかるそうですが、大役を果たした
魂が分析結果に幸いをもたらす事を願って止みません。

 





花は桜木  人は??

 桜ってホント手がかかるんですよ


平成22年5月16日

 連日、低温が続き当神社境内のソメイヨシノも実に三十数年ぶりに5月の連休が満開となりました。桜の盛りが過ぎ、田植えの季節となっても気温の低い傾向は変わらず、あの「平成大凶作」を思い出されている方もいるのではないでしょうか。米どころである当地方ではホームセンターなどで、農家が出荷した状態(玄米30s)でお米を販売しています。玄米はかなり保存が効くので、「転ばぬ先の杖」という事で備えておくのもいいかもしれません。

 前置きが長くなりましたが、今日は日本人が大好きな
桜の話。桜というとソメイヨシノですが、これが全国的に植えられるようになったのは比較的最近の事だそうです。ソメイヨシノは江戸時代に生まれた品種ですが当時は「下品」としてあまり好まれず、明治より後「ぱっと咲いてぱっと散る」性質から軍隊に好まれ、各地の駐屯地などに植えられたのが全国的に広まる元になったとの事。
この品種は種子から育つ事は無く、全て「接木」です。従って花が咲いても実がなる事はありません。テングス病という病気に弱く、寿命はせいぜい百年程度とされています。

 さて、
桜は花の時期だけ注目が集まり、その他の時期は忘れ去られてしまう存在です。桜の花が咲いているのは長くてもニ週間程度ですが、残りの三百何十日はどうなっているのでしょうか。花が終わるとソメイヨシノの場合、花柄から落ちてしまいますが、実の成る品種では「さくらんぼ」が出来てムクドリなどのエサとなり「糞害に憤慨」になる事もしばしばです。いづれにしても花が終わると花びらや、花柄やら、実が落ちますのでその度毎に周囲の清掃が必要となります。また毎年ではありませんが夏になると、アメリカシロヒトリという毛虫が大発生する事がありますし、8月半ばになると早くも落葉が始まり、紅葉が終わるまで落葉が続きます。(お掃除が大変)  そして冬にはテングス病にかかった枝を切り落とさねばなりません。放っておくと蔓延し、木を枯らす原因にもなります。桜は実に手のかかる木でもあるのです。

 でも逆に、こうして
手をかけるから立派に咲くのだとも言えます。わずかニ週間程度の花のために皆さんが知らない所でこれ程の労力がかかっている事をどうかわかってください。

 人は、ある一面、ある一瞬で物事を判断しがちです。最も華やかな所、最も立派な所ばかりが目についてしまい、
結果に至るまでの努力や周囲の支援に気づかない事が多いようです。桜は自身の力と周りの人間の手入れによって立派な花を咲かせます。これは人とて同様です。本人の努力と周囲の協力が無ければ良い結果は生まれてこないでしょう。自分が努力し、周りの人の協力に感謝して物事を進める事は成功へと続く道です。例えこの道が登り坂であっても、自分の力に周りの人の力が加わり、更には御神霊の力も戴く事により登りきる事ができるのではないでしょうか。

 






喜びは神様とともに

 「お供え物」以外の物も、どんどん神棚にお供えしましょう。


平成22年4月12日

 ご家庭や事業所などの神棚を拝見するといろいろなものが置いて(お供えして??)ある事が多々あります。破魔矢、熊手などの縁起物をはじめとして様々な置物、本来身につけるべき御守、なかには宝くじまでも・・・。まあ、本来の目的や使途から離れすぎない程度で、不浄な物でない限り、差し支えない事だろうと思います。

 特に何となく
「神様くさい」物を置く場所としては神棚はうってつけ。観光地のみやげ物屋で売っている「得体の知れない??」置物は居間のサイドボードよりは、神棚か床の間がふさわしいかもしれません。

 さて、お米や水、塩などのお供え物の
他に神棚にお供えしたい物。入学、入社試験や資格の試験の合格通知、昇任の辞令、卒業証書etc.......。ご家族の皆さんに嬉しい事があった時、その文書などを神棚にお供えして、喜びと感謝の気持ちでお祈りしてください。こういう時は、誰でも素直な気持ちでお祈りできるもの。「神は人の敬によって威を増す」とされますので、何かにつけご神前に感謝の誠を捧げる事は、「人は神の徳により運が加わる」という事になります。

 神棚が
終わったら、今度は御霊舎なり仏壇のご先祖様に同様にして、感謝します。ご先祖様もあなたの事を一層助けてくれる事でしょう。順序としては、神棚次いでご先祖様です。逆は良くありません。こうする事により、神様とご先祖様の御加護によって、今後ますます運が開けてくる事でしょう。

 
 






「ケガレ」とは何ぞや??

 穢れ=汚れではないという事


平成22年2月5日

 日本人がきれい好きなのは、「穢れ」(けがれ)という神道の考え方が根底にあるからだとされています。また銘々箸(その人専用の箸)などの習慣も「穢れ」の思想が大きく影響している習慣だと言えるでしょう。葬儀のおける「お清め塩」など「穢れ」を避けるという事は、意識していなくても神道に根ざした日本人の行動原理だと言えます。

 それでは
「穢れ」とはどんな物なのでしょうか。前述のような習慣からみると、「伝染」するもののようです。「穢らわしい。近寄らないで!!」などというセリフは「穢れ」の性質を見事に捉えているのではないでしょうか。また、「穢れというと、「汚れた物」を連想される方もいるかもしれません。

 ところで
「穢れという言葉は「気枯れ」という言葉から来ているとされています。即ち、「穢れ」とは気が枯れている状態=生気の無い状態を指す言葉なのです。亡くなった方は生気の無い状態ですから、「穢れ」の状態となり、この事から死=「穢れ」となっているのです。

 また、腐った物や汚物などは最初から命が無い場合でも、その物としての生気が無い状態ですから「穢れ」とされます
。生気がある物については、汚れていても「穢れ」とはされません。ただ、「穢れ」と「汚れ」は密接な関係があるようで、どちらかが増すともう一方も増すようです。

 
神道ではこの「穢れ」を祓い、清々しい状態に戻る事を大切に致します。
神社で行う様々な祭典では「お祓い」が必ず行われます。また大祓式を行って氏子の皆さんをはじめ広く一般の皆さんまで「穢れ」を祓う神社もあります。

 心身が健康で活力のある状態は生気に満ちた「穢れ」の無い状態です。「穢れ」という考え方は体も心も健康で元気な事が、日々を明るく過ごすためには絶対に必要である事を
示しているのではないでしょうか。

 



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